1 ABSなどで高名な大前先生は、人口動態図(いわゆる又は大前先生曰くいもむし図)を見て、将来を想像することを推奨されていたが、同じような話が家族療法や社会福祉の領域で存在する。ジェノグラム分析だ。(ナージの多世代家族療法、文脈療法のイメージがありますが)
2 ジェノグラム(家族図)は、家族の家系図のようなものに、年齢、同居関係など、多くの情報を加えてゆく。その家族の持つリソースなどを把握することなども可能であり、介護福祉支援などに大変役立つものであるといえる(正確でないかもしれないが)。私は、家族療法学会でジェノグラムの講義担当にお名前が挙がっていた、団士郎先生のアソブロックさんのWSに数回参加して勉強させていただいた(団士郎先生は児童相談所系のご出身で、名著「家族の練習問題」など、多くのファンをお持ちの先生である。)。その中で、ジェノグラムの使い方に、その図から、何年経過したらどう変わるのかなどを想像して将来起きるかもしれない問題点を把握するというかんがえかた、分析手法などを教えていただいた。
例えば、今は全て中心の70歳の肝っ玉母さんががんばって家族を支えているが、何十年たってその母親が倒れるかもしれない、ではどう援助するか、というふうに分析し考えるのである。
3 今回これが思い出されたのは、このジェノグラム分析のWSの直後に、二十年近く前に会の相談運営委員会に出た際に「相談需給などの将来起こりうる分析のための調査」提案をしたときのことを思い出されたからである(当業種は、あまりそういうことに関心がないので、相手にすらされなかったが)。
これはつまり、①法的サービスも人口変化によって提供の仕方が変化する→②そのためのサテライト(当時は会の委員であったので)→③そのための将来のセンターに生じる需給分析、設計対応のための、「現状の法的ニーズ人口などの基礎調査の必要性」をすべきではないか、というのである。特にABSのクラスメートに、空き地問題からのビジネス創出を論じていた方がいて、東京山間部のイメージが強く刺激されたこともあったと推測される。
4 なぜ、これがそれほど頭に浮かんだのかと言えば、裁判のIT化に伴う、利用者援助という議論があると聞き、そのサテライトのイメージが過去の記憶を思い起こしたようであった。
5 二重年近くたっても、未来がどこにあるか、よくわからない印象があることは変わっていないようである。
「訴訟は単純に」が金言である訳
1 陪審制では、特に、「伝えること」を単純にすることは極めて重要だといわれているといいます。
2 わが国でも同様で、ご依頼者の皆様の「伝えたいこと」をすべて訴訟に盛り込むのではなく、シンプルに絞り込むことが重要だといわれております(ただ、ご依頼者様のご希望を可能な限り主張する方向になることが多く、代理人としてはなかなかできないのですが)。
3 この「訴訟はシンプルに」ということは、先の「コミニュケーションパターン」としては、森俊夫先生流の「気質論」にいう「シゾイド」的な性質、「自分の信念に従って」、一つ一つ段階を処理する、思考のメモリとしては少ないメモリをステップバイステップで使用するーこのため、複雑な情報は全て無意識下に排除される(自己の信念に従って選び取られる)、リニアー直線的に「自分を中心として」「結論に収れんする」のでありモザイク的並列的処理ではない、という、慎重な思考のステップが、裁判で用いられ、習慣化あるいはもともとの気質であるということがあると思われます。
4 つまり、シンプルにしないと、大切な情報まで完全にシャットアウトされてしまうということです。もちろん、単なる取捨選択整理にすぎない場合が多いでしょう。しかし、次のような事例があります。
5 例えば、実際の具体例として、ある合議体での事件ですが、大量の書証にA,B,Cがあったとして、この記載を論理的に、A+B+Cと論理を進め情報を整理していけば=D(主張書面はそう記載)となるとしましょう。しかし、なかなか裁判所の反応は良くないといった形勢でした。すべて相手方当事者が提出した書証でしたが、主張書面で図式化しても、証拠説明書で記載しても、どうも伝わりそうにありませんでしたので、ベースになりそうなAの書面に、B,Cの情報を順次(チェックしやすい形で)、記入してゆきました。出来上がったのはAの書証に、書き込みがなされ一つの情報となった書証でした。それを提出した時のその時の合議体の反応は、初めて見た書証に対する反応でした。当職は、相手方から既に提出されている書証であると述べたところ、「それはどこで出たのだ」という反応でした。もともとお読みでなかったのかは不明ですが、頭の中で、A+B+Cという事実がイメージされているのではないのではないか、もともとわかりにくい認定プロセスなので、当職の提出の仕方も適切ではなく修正すべきものと推測しました(いわば3Dーストーリー付)。(わかりにくいが、これは多数の変数が各書証にあるので、行列による並列計算が行われるイメージであり、さらにわかりにくくなるがpandasのデータフレームで計算したようなイメージである。わかりくにくてすいません。)
要するに、裁判所が、そのような事実の認定をしてくれるとは思わない方がよいということでした。一つにまとまったもの(試験のまとめか、という突っ込みは置いておいて)、証拠説明書上で容易に追っていける証拠上のストーリーは良いのでしょうが、あまり複雑なものは「ない」ことになってしまう可能性をその時、先の気質論(別の言葉で言えば思考方法、情報処理方法。パソコンのたとえでは、適切かどうか不明ですがCPUとGPUの違い?)を思い浮かべたのでした。
6 弁護士は、複雑な訴訟では、最後に「最終準備書面」を作成します。通常は、書証と訊問で相手方から得た供述のみで、一つの主張を構成できるよう、その「情報」を、取得します。相手方に必要なことはお話いただいて、それをシンプルに構成(一応他の細かい議論も反論などしますが)するのです。
7 ですから、弁護士というものは、訴訟の初めから、ご依頼者の顔などを見ては、最後に相手からとる供述をどうするかな、と思い浮かべながら、日々の反論の応酬書面を書いたりするのです。(ただ、実際は臨機応変である。伝統的な技術に従って、尋問を行う場合も多い。「人間の創造」を自分のライフワーク(趣味)としてきた自分にとっては、その趣味の一環であることも多いのである。ちなみに、相手方代理人の尋問がうまければうまいほど、自分の反対尋問も、なぜかうまくいくことが多い。不思議であるが、そのイメージが上乗せされるためであろうと推察する。)
8 実際制度としても、「新様式」「争点型」の判決、IT化された特別な手続なども、そのような思考様式をより強化するように感じるのです。それに問題点があると考えられるかは、また別の機会に触れたいと考えます。
9 以上「訴訟は単純に」が金言であること、お客様にもご理解いただけるとよいのですが、と思うのですが、未熟さゆえか、思うようにならない日々なのです。
伝え返しの難しさ
1 産業カウンセラー協会の研修で、「前期」「ロジャース流」の「伝え返し」などを技術とする「傾聴」またはその前提となる「聞く姿勢」を体で学ぶわけですが、やはり、それだけではうまくいかない場合があります。
2 「メンタルレスキュー」さんでは、「メッセージコントロール」などの研修で、「伝え返し」の言葉で「惨事にあった方」を刺激するのか、苦痛を再燃させたり、爆発させる危険を学んだのですが、それでも、なかなかうまくいきませんでした。
3 それは、昔、ある交通事故系のセンターでの相談のことです。あるご相談者のお話につい、「伝え返し」(オウム返し)をしてしまったところ、良くなかったのか、まさに「爆発」するような反応がありました。私はそれを見て、メンタルレスキューでのお話を思い出し、大変反省しました。
4 私が一番多く受けたカウンセリング系の研修は、系統的には、時々研修を取らせていただいた、内田・クレペリンや、アサーションや統合療法学会の高名な平木典子先生で有名な日本精神技術研究所さんで、関東では日笠摩子先生が大家である、ロジャースの後継ともいえるジェンドリンのフォーカシング系の研修なのですが、その一つ、インタラクティブフォーカシング(日本では前田先生、伊藤先生、本来はフルウイングでカップルカウンセリング用に開発、ハーフウイングで傾聴訓練)が役に立ったことがあります。
5 この時の交通事故相談は、過去にいろいろなところでご相談されていたご相談者が、「絶望的な事案について相談し絶望的な回答を弁護士からもらい」「絶望と身体の苦痛に苦しみながら」帰ってゆく、というプロセスを繰り返していたという相談でした。このときは、前回の反省から、普通の伝え返しをせず、身体感覚と併せてやりとりをすることにしました。マインドフルネスなどでも同様の話が出ると思いますが、「身体感覚」をその場で探りながら、ゆっくりとした共感を返してみたのですが、その時はそれがその方にあったようで、その方は、「苦痛」を産んでいたのがその方の「脳」の幻であったことに、気が付いたのでしょうか、「あれ、今日はいつもみたいに痛くない」と「絶望的な回答を聞いていながら」はればれとした表情で帰っていかれました。
よかったとは思いましたが、「弁護士」にそんな手柄はありえないので、結局私は「役に立たない」弁護士でしたから、複雑な思いであったのを思い出します。
話がそれましたが、当然、「伝え返し」が重要な場合もあります。ただ、その使い方は大変難しいと感じるのです。
コミニュケーションパターンという考え方
1 産業カウンセリングをはじめ、カウンセリングを勉強していると、ストレス原因トップ3なるものを聞くことがある。
(1)職場での人間関係、(2)家庭での人間関係、(3)自分の将来のこと、といったところである。
2 (2)家庭での人間関係は、断ち切れない血縁という側面からすれば、切実でありそうであるが、意外と、「家庭の外の人間関係へのシフト」でそもそも家庭での人間関係に直面する場面が減るから意外とそうでもないかもしれない。(1)は、自己実現と生活にかかわるから、辞めればいいと言われても、切実のようである。
「職場での人間関係」の内の一つの重要な要素として、そもぞも「コミニュケーションパターン」ないし属性があっていない連絡、指示がなされるという類型の指摘がある。臨床面からの話は、東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野助教授であった故森俊夫先生の「気質論」として伺ったた。(論文の一部は、月刊学校教育相談2011年2月号、3月号)
病前性格(正常な時の性格)のコミニュケーションタイプを「気質」として「クレッチマ」の分類を参照して、意思決定の中心こだわりは自分本位、一度に処理する情報量、考えるステップ(1つ1つ段階的か)、などなどで、「シゾイド」(あくまでもこの類型独自の概念の借用なので、ネットでは別の意味が出てくる。混同されませんよう)は、こだわりは「自分本位」(ただし、はっきり明確に言われたことで納得すればすっきり対応)、一度にする情報処理として多く雑多なものを与えられるのは不得手、リニア、一つの自分なりの結論に収斂(イメージとしては論理を積み重ねて慎重に審理するタイプの裁判官みたい?)、「循環気質」、こだわりは他人本位、同時並行処理、モザイク等、「粘着」こだわりは「モノ」「こと」にある、一文一文が長い、「ヒステリー」は、かけひき型、などなどが挙げられている。
同じKIDSカウンセリングの黒沢幸子先生(ご師匠は夜と霧の1985年版翻訳者である霜山先生。当時の森先生いわく天才肌)は、お子さん2人がそれぞれ、シゾイド(個々の指示を細かく)、循環(細かい指示をされると信頼されていないと感じる、裁量を広く最低限の指示で任せてしまう)と違うので、それを生かしてうまく子育てができて便利とのお話であった。
人を生かすも、殺すも、その関わりで上位にある人がうまく指示などの行動をできるかによる、コミニュケーションパターンの理解は大切とのことである。
「伝えること」の重要性は、有名な「影響力の武器」とか、自分が、親戚に唯一勧めた、デール・カーネギーの「人を動かす」などもあるが、中にはそもそも「コミニュケーションパターン」というものが念頭にないと「自分の癖」で指示したり「伝えた」つもりになったり、不適切なメッセージを与えることになるので、怖いものがある。
3 このようなコミニュケーションのパターンは、他にも論稿がある。稲場真由美先生の著作である。分類名は違うが、これも大変参考になる。
4 そういえば、(1)気質論のようなコミニュケーションパターンの考え方、体型、動作という要素、(2)関口栄作先生のWSで受けた「NYバッファロー大の相対的なチームビルディングのテスト」、(3)例えばedxのIOTの講義に出た就労環境及び能力補完の例の動画を見て、
(あ)(1)+(2)+(3)→ITシステムで補完し、よりチームビルディングの目的達成力を上げることはできないか、とか、(い)体型とコミニュケーションパターン+(これに加えて)ペンフィールドのホムンクルスの概念イメージから、意識の存在に関する「千の脳」の仮説とか、より人間の得意な思考を実現することはできないか、とか、ふと思ったことがありましたが、当然、それは私の仕事。ではありませんので、単なる妄想に過ぎないのでした。(他にも、吉川悟先生の大阪のコミニュケーションケアセンターでの研修で、仮設仮定であるシステムズアプローチの研修を受けた際などのお話が、同様に生きないのかと考え、いろいろ考えたことはあります。ただそれは、(以下略))
5 コミニュケーションで弁護士が切実に感じるというのは、ご依頼者様のご希望の把握や作業連携等に重要だからですが、そういう人を動かす専門家中の専門家であれば別ですが、なかなか、私程度では、コミニュケーションパターンが違うことにうっすら気が付くまで、結構な期間かかってしまうということがあるのが悩みです。(概念の定義の正確性を突っ込んでこられたりするので、当職は気が付きませんでした。)
(2022年5月4日追記)さて、記憶やメモリ違いではあるが、伝統的に記憶には長期記憶、短期記憶の概念があり、また、書籍に、Your Brain at Workのように、大脳基底核と前頭前皮質に着目するものがある。これと、Immunity to ChangeにおけるImmunity とこれらの概念の関係も大変興味ぶかいところです。(こういう言い方をすると、ジョハリも、何もかも?)
ところで、さらに余談ですが、昔Gacco上(当時は生体ナノマシンの講義など楽しい講義があった。今ははやりのAIなどである。)講義が公開されていた石黒浩先生(どうすれば「人」を創れるか: アンドロイドになった私等参照)の講義中で、外部のロボットの動作を人間が自分の動作と感じる事例について述べられていた(記憶があいまいですが他しかそのようなお話があったように記憶している)。人があるものと自分との同一性を認識する情報処理するプロセスはどうなっているのか、人の意識・認識などは、身体からの情報などにより、制限され規定されるのかなど、わかりにくいが、何か面白そうなお話があるように感じられた。あまり詳しくはないが、昔の「セカンドライフ」と異なり、Metaバースがそのようなシステムの実験場たりうるのか、などなど(人間の外部脳というべき「身体」(筋肉なども含む。恒常性維持機能などとの関係で、実験場を超えた利用は、少なくとも現在の時点では危険な印象のようですので、「実験場」と呼んでいます)、興味深い話題はつきないところです。
単なる法律相談の一場面(本屋の衰退)
参考文献をあさるとき、自分の持つ本、図書館本、お客様の事件ではお客様がお持ちの本、ネットのサブスクの法律図書ライブラリ、昔で言えばJICST(J-stage,JIPSTRI),などが参照でき、それでも不足するときやデータベースで拾いにくい書籍の場合、書店で意外と見つかることは、以前はあった。例えば、ジュンク堂に新宿店があった時は、蔵書を調べると、他で入手できない、参考になりそうな書籍が、見つかったりして、議論を深めるか、多面的に分析議論するのに役に立った。アマゾンもあるが、実物が見れないという欠点がやはりある。Kindleでは、印刷できないので、書証にもできないのである。
先日、日照に関するご相談を受けた。時代が変わっても、大変深刻なお話の分野である。それで、改めて、存在する日影図の分析の基本を復習するのに、Jw-cadあたりを素材にして確認しようとして、但し多少多めの時間参照したいので、その入手方法を検討した。(いわば特徴量などは最低限確認したかったのである。)
すると、アマゾン以外、ないのである。都立中央図書館には限られた数であるがあった。しかし、限られた時間中のコピーには限界がある。売れ筋以外は、大型書店には置いていない。新宿では発見できないのであった。最後に行きついたのは、昔ながらの神田書店街の建築関係書籍専門店であった。昔に比べ知の源泉である書店がいかに衰退したことか。他の先生方が、大型図書館のある地域へ移転しているらしいのも、この書店の衰退ゆえかなどと考えてしまう。
こうして、日影図のCADによる生成の基本を確認できた。受任するかはわからないが。地道な作業で「事実を掘り越す」準備を進めるのである。お客様との連携がうまくいかないと、書面の正確性などやスケジューリングなどは決定的なダメージを受けるので、2人3脚がいまくいくかが最大のテーマではあるが、それ以外にもしておかなければならない作業があるのが、弁護士業務の大変なところである。事件が来てから考えるとか同じタイプを集中させるお役所とは全く事情が異なるのであった。広告で同種事件を集める同業のやり方が効率的なのだろうか、と今日も又思うところである。
企業法務の戦士から学ぶ法律家魂
いつもは士業として、個々の事件にかかわることが中心で、ビジネス全体を見渡す会社サイドの見方をしていないなと感じたことから、本屋で書籍を購入したところ、個々の法律知識というよりも「マインドセット」について触れたという、「ここからはじめる企業法務」(登島和弘先生著)という書籍を読んでみた。組織内らしきものにいた経験がもう30年前後昔の、しかも総務畑1年という短い経験しかない私にとっては、その「薄い」1年ですら、警備がどうとかいう話がてんこ盛りであったことを思い出し、それをプロの中のプロとして渡り歩いてこられたトッププロの話であるから、どれだけ密度の濃いお話がなされているであろうかと、今から大変楽しみなところです。普段、英文書籍は、WIN10のDavid設定でkindleの読み上げ機能(たまにaudible)で聞き流して済ませてしまう私ですが、切れる人の日本語文は、ぜひじっくり味わいたいと思っており、今から大変楽しみです。読んだら、アマゾンのレビューを書こうと思います(今までアマゾンのレビューを書いたので法律や法律実務の領域の本はほとんど書いたことがないですが、今回は書きたいと思います。思い出せば、私が書いたアマゾンレビューは、少し書くだけでも、量子情報科学入門、DNSがよくわかる教科書、これならわかる応用数学教室、ArtificalInteligence,ロウソクの科学、心理療法後行動分析、微分積分学原論、未現像の風景、ペンキやなどと雑然としていますので(カウンセリング関連の本を除く)、法律業の者らしい分野のレビューを書こうと思うところです。
あなたが従事している仕事は、業務委託(準委任、請負)?、法人代表者(個人)?法人代表者(その他?)、雇用?
1 下請けとしての勤務もそうですが、あなたが、人の「下」であるいは「一緒」に働いている場合、それは、法律上は、個人の場合、業務委託(準委任、請負)、雇用、法人代表者(個人)、法人代表者(個人以外)など、いろいろな可能性が考えられます。
2 これは、雇う、あるいは下請けに出す(つもり)の側も、同じような問題があります。自分と下請けのつもりの「個人」や「会社」は、どういう関係にあるのだろうか?下請けで業務委託契約を締結したら、雇用だったという場合もあるのです。そうすると、期間を定めた場合、期間を定めない場合、自分の負うリスクが全く異なってくることがあります。契約書で定めたと言っても、強行法規が相手では、意味がありません。
労働法規の場合「実態」で法律関係が決まってくることがあります。
3 労働法では「労働者」が保護対象です。「事業主」は、「労働者」つまり「事業又は事務所に使用される者」(で賃金を支払われる者)や労働契約法2条1項(使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者」とは言い難いから、常に「労働者」ではない?近時は、解釈が動いているようです。従前、各法律の教科書は、それぞれの分野について深く論じていましたが、このあいまいな境界についてあまり論じていなった印象です。
官庁は縦割りと担当する分野についてしか発言できないという性質がありましたが、令和3年3月26日「フリーランスとして安心して働ける環境を整備するためのガイドライン(内閣官房、公正取引委員会、中小企業庁、厚生労働省連名)では、法人が「労働者」に当たりうる場合などについて言及しているようです。裁判所はここまで行ってはいない印象です。
4 この辺のリスクをどうなくすかは、大変重大な問題でありますが、法律とビジネスとを、どう調整するかは問題が多いところです。