人の個性・やる気・能力などについて考える

かなり昔になるが、成年近くの少年事件(現在の家裁の見方では、家事事件と少年事件は表裏一体という見方であり続けた)で、以下のような経験をした(今は全く少年事件は担当していない)。それは、既に多くの高名かつ経験豊富な弁護士(付添人)達の関与がありながら、生活などについて改善が全く見込まれず、逮捕時に、調査官から、「今度は容赦しない、必ず施設行きになる」と通告された少年の事件であった。当職は当番国選というラインで担当したが、その前の事件では、親が何とかしたいと私選付添人をつけたが、やはりだめだったということであった。本人ももはや自分はどうしようもないと感じていたようであった。あとは成年になるか成年近くになり、
家裁の処分に不服申し立てできなくなるまで、新たな事実で逮捕を繰り返され時間切れになるのを待つばかりという状況であった。その時の自分の見方は、過去に行われた処分などの記録であり、少年鑑別所での調査報告書だけであった。ジョイニングはそこそこできたようであったので、あとは、複数の警察署をたらいまわしにされている身柄のありかを確認しては、日々接見をするというところであった。
過去の記録(基本的に役に立つのは鑑別所の報告書のみである。ただし結論はだいたい正しくない。調査官の論文も自ら臨床に携わっていないもののものなので、役に立つと思っていない。例えば、本件では調査官は、更生できない理由として「運動神経が良く落ち着きがない」という本人の本質的なものであると述べていたが、後述のとおり、それは的外れであった)で気になったものの一つが、親が子を思ってする「左ききから右ききへの矯正」、教育の経験であった。本人に反省の手紙というある意味類型的な自己省察を求めた際に、本人のちょっとしたためらいの理由に、「まともな字が書けない」というものがあったように感じたので、仮説の一つとして、「熱心な教育→失敗(自己及び周囲からの評価の低下)→熱心な教育→失敗(以下同じ)」というスパイラルを一つの介入の契機として仮定した。自分は、書道を習った際に、まともに受講せず、右手でも十分字がうまくなかった」ので、そこから話題に入ったのである。次第に、手紙のような文書を書いてくれるようになった。行くたびに自分なりの介入の契機かネタをもって会話をしていたように記憶している。同時に、一応刑事事件であるため、勾留期間延長に対する不服申し立てを繰り返した。
当初の事件と異なる弁護士会の管轄である警察署での取り調べが行われている際に、当初の裁判所と異なる裁判所での勾留更新に対する不服申し立てをしたときのこと、合議体が作れない支部での不服申立であったため、本庁へ記録を持って判断を求めるという方法がとられたため、判断は夜中になったようである。皮肉なことに、他の裁判所の管轄での更新となったため、準抗告が通ったのであった。夜中突然本人は、警察署から解放され、しばらく呆然としていたそうである。しかし、その体験は本人にとって再びやる気を起こすだけのものであったようである。
 自宅に帰った後の本人は、実家の親元で家業を手伝ったが、その行動は、「自らドラッカーを読み、その精神方法論を実家の仕事に生かす」という、今まで雇ったことのあるやつにいなかったほど「使える」ものであった(親)とのことであり、20歳近くの彼の人生の中で、親が初めて彼を見直した(親として誇りに思えた)とのことであった(事件としては、家裁に誇らしげに報告面接に行ったところを、その場で裁判所に収監され、そのまま、彼は一度も外に出ることなく、当初の裁判所の予定どおり、施設送りになったのであるが、それでも、ご両親としてこれほどわが子が誇りに思えたことはかってなかったということで、大変感謝された。)。
今まで良い介入がされても、結局同じだったのかもしれないが、他方、これまでの人のかかわり方によっては、彼の人生にはもっと大きな違いがあったのではないかと、ふと考えた。MRI学派ではないが、「解決のための試みが問題を生む」ことなど、また、人の能力が発揮される経緯なども、そう単純ではないと感じたものでした。(ちなみに、少年事件はそれ以降基本的にやらなくなり、登録も外した。研修受講必須(調査官や審判官の言うことを聞く協力する役割)とのことであり、そんな役割など果たしたくなかったからである。

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