どの程度の準備が訴訟で用いられるか

例えば、ある学校の校庭でベニヤ板で作られた構築物が倒れ、被害者が怪我をしたといった事故を考えてみよう。特にそれが10年近く前の事故であった場合などである。
民事訴訟を提起する前に労災事故であるとすれば、労災の記録、当時のカルテなどの一連の資料を用いることはもとより、事故が起きたその実態なども調査することになる。上の構築物でいえば、写真などでどのような大きさのどういう構築物か、それが文化祭などの際に作られたものであれば、そのものがあるか、なければ、その人づてをたどってその材料を購入した店などを見つけて、厚さ何ミリのベニヤだとか、など可能な限り、現物を再現できる状況にする。当日の事故の状況も、当時の天候の記録などを調べる。客観的に存在する可能な資料や記録は全て当たる。しらみつぶしである。風速も、当日の風速、測定されている地点と事故現場の関係、事故現場付近の構造と突風の有無が起こるような地形なのかなど、当たっていく。構築物と風の状況などが把握できれば、当然、おきる構築物の挙動などを想像し、確か空気力学(風力学、流体力学)などの機序、実験方法なども当たってゆく。そうして事故が起きた原因や状況などを客観的に把握するのである。社会で現実におきたものである以上、物理法則などの法則に従って起きるのであり、各種の科学的知見をおさえてゆく。怪我もその怪我の症状が長期にわたるものであれば、医学論文専門書などにあたり、医学的基礎を確認する。そして、当時の関係者の証言などもあたり、あらゆる角度から検証し、訴訟の形にしてゆくのである。こうして、集めた各種の資料知見はどれだけ使われるのだろうか、裁判所や相手方があまり実体に関心がない場合は、意外とあっさりしていることがある。
そのほとんどを出すことなく一部のみをもとに数回主張立証がなされたのち、裁判所から鶴の一言で和解に話が進んだりすることもあるのである。相手方は、あまり実体をとらえるという考え方をしていないことは明らかだった。そのある事件はあっさり和解で終了した。証拠は10%も使わなかった。準備がかなり無駄になった。必要な準備のはずだと思うのだが、複雑な思いになることがよくあるのである。(なお、上のプロセスは、個々の資料の位置づけ(得られる情報の評価)、自由度など多くの点で不正確なものであり、ざっくりとした、しかも一定の誤差範囲を想定した程度のものにすぎないことは述べておく。要するにどこまで言っても不正確な再現である。)

Follow me!