「訴訟は単純に」が金言である訳

1 陪審制では、特に、「伝えること」を単純にすることは極めて重要だといわれているといいます。
2 わが国でも同様で、ご依頼者の皆様の「伝えたいこと」をすべて訴訟に盛り込むのではなく、シンプルに絞り込むことが重要だといわれております(ただ、ご依頼者様のご希望を可能な限り主張する方向になることが多く、代理人としてはなかなかできないのですが)。
3 この「訴訟はシンプルに」ということは、先の「コミニュケーションパターン」としては、森俊夫先生流の「気質論」にいう「シゾイド」的な性質、「自分の信念に従って」、一つ一つ段階を処理する、思考のメモリとしては少ないメモリをステップバイステップで使用するーこのため、複雑な情報は全て無意識下に排除される(自己の信念に従って選び取られる)、リニアー直線的に「自分を中心として」「結論に収れんする」のでありモザイク的並列的処理ではない、という、慎重な思考のステップが、裁判で用いられ、習慣化あるいはもともとの気質であるということがあると思われます。
4 つまり、シンプルにしないと、大切な情報まで完全にシャットアウトされてしまうということです。もちろん、単なる取捨選択整理にすぎない場合が多いでしょう。しかし、次のような事例があります。
5 例えば、実際の具体例として、ある合議体での事件ですが、大量の書証にA,B,Cがあったとして、この記載を論理的に、A+B+Cと論理を進め情報を整理していけば=D(主張書面はそう記載)となるとしましょう。しかし、なかなか裁判所の反応は良くないといった形勢でした。すべて相手方当事者が提出した書証でしたが、主張書面で図式化しても、証拠説明書で記載しても、どうも伝わりそうにありませんでしたので、ベースになりそうなAの書面に、B,Cの情報を順次(チェックしやすい形で)、記入してゆきました。出来上がったのはAの書証に、書き込みがなされ一つの情報となった書証でした。それを提出した時のその時の合議体の反応は、初めて見た書証に対する反応でした。当職は、相手方から既に提出されている書証であると述べたところ、「それはどこで出たのだ」という反応でした。もともとお読みでなかったのかは不明ですが、頭の中で、A+B+Cという事実がイメージされているのではないのではないか、もともとわかりにくい認定プロセスなので、当職の提出の仕方も適切ではなく修正すべきものと推測しました(いわば3Dーストーリー付)。(わかりにくいが、これは多数の変数が各書証にあるので、行列による並列計算が行われるイメージであり、さらにわかりにくくなるがpandasのデータフレームで計算したようなイメージである。わかりくにくてすいません。)
 要するに、裁判所が、そのような事実の認定をしてくれるとは思わない方がよいということでした。一つにまとまったもの(試験のまとめか、という突っ込みは置いておいて)、証拠説明書上で容易に追っていける証拠上のストーリーは良いのでしょうが、あまり複雑なものは「ない」ことになってしまう可能性をその時、先の気質論(別の言葉で言えば思考方法、情報処理方法。パソコンのたとえでは、適切かどうか不明ですがCPUとGPUの違い?)を思い浮かべたのでした。
6 弁護士は、複雑な訴訟では、最後に「最終準備書面」を作成します。通常は、書証と訊問で相手方から得た供述のみで、一つの主張を構成できるよう、その「情報」を、取得します。相手方に必要なことはお話いただいて、それをシンプルに構成(一応他の細かい議論も反論などしますが)するのです。
7 ですから、弁護士というものは、訴訟の初めから、ご依頼者の顔などを見ては、最後に相手からとる供述をどうするかな、と思い浮かべながら、日々の反論の応酬書面を書いたりするのです。(ただ、実際は臨機応変である。伝統的な技術に従って、尋問を行う場合も多い。「人間の創造」を自分のライフワーク(趣味)としてきた自分にとっては、その趣味の一環であることも多いのである。ちなみに、相手方代理人の尋問がうまければうまいほど、自分の反対尋問も、なぜかうまくいくことが多い。不思議であるが、そのイメージが上乗せされるためであろうと推察する。)
8 実際制度としても、「新様式」「争点型」の判決、IT化された特別な手続なども、そのような思考様式をより強化するように感じるのです。それに問題点があると考えられるかは、また別の機会に触れたいと考えます。
9 以上「訴訟は単純に」が金言であること、お客様にもご理解いただけるとよいのですが、と思うのですが、未熟さゆえか、思うようにならない日々なのです。

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